『日経ビジネスONLINE』山根一眞連載「ポスト3・11 日本の力」東日本大震災の「現実」を風化させないために被災地取材写真<高画質大サイズ判>の公開を開始!"The Great East Japan Earthquake"  Image Gallery By Kazuma Yamane

 

東日本大震災の現実を風化させないために
被災地取材写真<高画質大サイズ判>無償公開 008
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東日本大震災 山根一眞取材写真 2012年9月17日公開 宮城県亘理郡山元町南泥沼踏切近く(2011.03.31)  


     

撮影日時:2011年3月31日
撮影場所:宮城県亘理郡山元町
撮影者 :山根一眞 Kazuma Yamane

写真説明:
 震災から20日後、JR常磐線の浜吉田駅と山下駅の間で、このJR貨物のコンテナ列車の被災を見た。平時であればこれほどの鉄道災害は連日大きなニュースとして報じられるだろうが、被災から約3週間すぎてもこの現場のことはほとんど伝えられていなかった。東日本大震災は、この鉄道事故以上の大きな災害が広範囲で発生したのだということを、まざまざと実感した。
 電気機関車ED75(重量67.2トン)のみは倒れることなく止まっていたが、『JR貨物労組対策本部情報 第9号』(2011年3月18日)の「大友運転士の証言」によれば、浜吉田駅と山下駅の間で防護無線を受信して停車後、大きな揺れに襲われ、やがて最初の津波に襲われた。防災無線でさらに10m級の津波がくるという放送を聞き、「首まで冷たい冬の泥だらけの海水につかり、何とか民家にたどり着いた。民家も1階のガラスが破れ、家具が散乱し、泥水が入り込んでいた。そして今後どうなるのか不安がいっぱいの中、寒さに耐え2階で津波の動静を見守っていた」。大友運転士は、ここで一睡もせず夜明けを待ったと語っている。
 JR常磐線は東京と東北を結ぶ基幹鉄道のひとつだが、この列車が運んでいた75個のコンテナのうち42個は日本製紙石巻工場で生産した紙製品だったという。なお、積載していた野菜類は大きな被害を受けた山元町の支援物資として活用されたと伝
えられる。列車が撤去されたのはやっと2011年の秋になってからだった。
 このJR貨物の被災現場そばには「南泥沼踏切 常磐線327K301M」と記された踏切がある。この「南泥沼」という地名が気になったが、『日本歴史地名大系』(平凡社)の「山元町」に、「かつて阿武隈丘陵の山裾には多くの沼池が点在し、山間の沢水とともに灌漑用水に利用されてきた」とあることから、かつては沼地のエリアだったようだ。それらの沼は、貞観地震などによる過去の津波で形作られたのかもしれない。
 常磐線はここを含む相馬〜浜吉田〜亘理間(27.6km)はまだ不通のままだが、浜吉田〜亘理(5.0km)は2013年春に線路をさらに山ぎわの高台に移動して開通予定だ。

JR東日本の地震・津波被害:7線区(325km)のうち23の駅が流出し、25の駅が被災(点検率100%)、線路など1680ヵ所が被災した(点検率約90%)(2011年4月4日の調査)。

この写真についての問合わせ先:山根事務所