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三陸海岸の小さな被災漁村の復旧・復興のお手伝いをしています。「大指こどもハウス」への支援のお願い 大指復興アクション

大指復興アクションは、巨大津波に襲われ壊滅した三陸海岸の
小さな漁村の子どもたちのために、夢にみちた
ドームハウス[大指十三浜こどもハウス]を作りました。

(「大指」は「おおざし」と読みます)


[大指十三浜こどもハウス]   [大指十三浜こどもハウス]への支援金のお願い
   
 
[大指十三浜こどもハウス]へ募金をして下さった方々
   
 
[大指十三浜こどもハウス]の最新情報
2011年4月20日山根ら大指復興アクションのメンバーが大指に支援物資を届けたヘリコプター(スウェーデン・エリクソン社の貢献)の着陸に喜んで乗り込んできた大指の子どもたち。この姿を見たことが子ども支援のひとつのきっかけになった。   2011年4月20日山根ら大指復興アクションのメンバーが大指に支援物資を届けたヘリコプター(スウェーデン・エリクソン社の貢献)の着陸に喜んで乗り込んできた大指の子どもたち。この姿を見たことが子ども支援のひとつのきっかけになった。
   
 「大指復興アクション」は、巨大津波で壊滅した三陸海岸の小さな漁村、大指を支援するさまざまな人たちによって2011年5月に発足した任意のチームです。
 その第一の目的は、津波によって遊び場や交流の場を失った子供たちのために、夢に満ちた遊びと学びの場「ドームハウス」を作ることでした。
 その提案が持ち上がったのは、津波被害から30日目のことです。
2011年6月に作成したドームハウスの完成イメージ図。   2011年6月に作成したドームハウスの完成イメージ図。
   
 建設工事期間が短いこと、低コストであること、子どもたちにとって「夢」のある施設にしたいという条件から、ドームハウスを作る案が出ました。大指復興アクションのきっかけをつくってくれた東京医科大学教授・増山茂先生の医師ネットワーク、東京・西荻窪の地域防災ネットワーク「西荻PCの会」などが中心となり、その実現を目指す活動が始まりました。
 工事計画は、建築プロデューサーの古見修一さんのもと、建築家の岡崎恭子さんが設計を担当しました。みな無償での貢献です。
 この計画をもとに、急遽、支援のお願い書を作成し、支援の呼びかけの活動を開始しました。
 
2011年6月作成の「大指こどもハウス」への支援呼びかけ書
2011年12月、大指こどもハウスの工事のようす。工事が進むにつれ、その大きさにはびっくりしたが、より小型サイズでもコストが大きく変らないことから、できるだけ大きなサイズを選んだ。   2011年12月、大指こどもハウスの工事のようす。工事が進むにつれ、その大きさにはびっくりしたが、より小型サイズでもコストが大きく変らないことから、できるだけ大きなサイズを選んだ。
   
 ところが、被災地では復旧工事が殺到しており、宮城県、福島県の工事業者にことごとく断られ、また震災復興バブルによって工事費の著しい高騰が起こりました。また、当初は「仮設扱い」のつもりだったのが平時の建築基準を満たさねばならなくなり、最終的な見積は1000万円となりました。
 当然、予算は不足。9月に入り計画を断念せざるを得ない状況に追い込まれました。
 しかし、現地大指からの切実な要望を受け「断念」を撤回、予算のメドがつかないまま2011年11月に着工することに決め、仮設住宅のそばで地鎮祭を行いました。
 工事は、栃木県のユートピア・ハウジングさんが利益なしで引き受けてくれました。
 建築開始後、メンバーの必死の募金活動により多くの団体や企業、個人から支援金が寄せられるようになり、2011年12月22日に竣工。子どもたちへのクリスマスプレゼントとして、[大指十三浜こどもハウス] の竣工式を迎えることができました。この日、ハウスに駆け込んで行った子どもたちの歓声が忘れられません。
 竣工式には、支援をしていただいた多くの方々が東京など遠路はるばる参加していただき、宮城県知事、石巻市長からもお祝いのメッセージが寄せられました。
 当日をはさんだ3日間の様子は200枚近いスライドショートとして公開しています。子どもたちの嬉しそうな顔を見て下さい。
 
[大指十三浜こどもハウス]竣工式のスライドショー
仮設住宅に閉じ籠もりゲームをして過ごすしかなかった子どもたちの心の状態は不安定だったが、子どもハウスの完成でのびのびと遊ぶことができるようになった。2012年1月15日撮影。   仮設住宅に閉じ籠もりゲームをして過ごすしかなかった子どもたちの心の状態は不安定だったが、子どもハウスの完成でのびのびと遊ぶことができるようになった。
2012年1月15日撮影。

   
 [大指こどもハウス]は、大指以外の隣接する漁村エリア、十三浜の子どもたちにも利用してほしいという願いを込めて、名称を[大指十三浜こどもハウス]としました(Ohzazshi-Juhsanhama Children's Playhouse)。
 竣工式を迎えたものの、トイレ、上下水道設備やハウスを囲むウッドデッキ、冷房設備などは手つかずのままでした。
 また、大指復興アクションは、[大指十三浜こどもハウス]の維持営費を少なくとも5年間(2016年末まで)は責任をもって負担することにしています。今後、未完の追加工事、冬期の暖房費(月に5〜6万円)、2012年1月の大型低気圧の襲来による建物被害に対応した修理工事費のような経費が必要です。
 そのため大指復興アクションは、引き続き皆さまからのご支援を心からお願いしています。
3.11以降、子どもたちもこの避難所で過ごしていた。それにしても大指の子どもの数の多さには心がなごみますね。2011年4月20日撮影。   3.11以降、子どもたちもこの避難所で過ごしていた。それにしても大指の子どもの数の多さには心がなごみますね。
2011年4月20日撮影。

   
 東日本大震災の復興には20〜30年を要すると言われていますが、今、小学6年生の子どもは、あと8年で20歳になり復興の主役となります。その子どもたちが、巨大災害に見舞われた三陸海岸というふるさとで、少しでも楽しく、イキイキとした子ども時代を送ることはとても大事です。
 私たち大指復興アクションは、そういう子どもたちに被災地の望ましい未来を託すためにも、[大指十三浜こどもハウス]という場が役立ってくれることを願っています。
(山根一眞)
大指復興アクションのおもなメンバー
大指復興アクションへのお問い合わせ先
[大指十三浜こどもハウス]の訪問や取材希望の方へ
 

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